<「最終スパンクハッピー」①>
まだ「最終(FINAL)」の冠がつく前の新生スパンクハッピーは、原みどりさんのソロ活動失敗のリバウンドを取る形で始まった第一期よりも、菊地くんが事務所もメーカーもなく、焼け野原の徒手空拳で、ギャラのいらない完全なアマチュアを探してインディー(当時)から立ち上げた第二期よりも、少なくとも商業的には恵まれたデビューの形態をとる事となった。
デビューシングルに伊勢丹のタイアップがつき、<カルトユニット11年ぶりの活動再開>と言う小さなニュースは、音楽性の確認もないまま、多くの夏フェスのブッカーから招聘がかかった。そして何よりも、当時はまだTABOOレーベルはSONY傘下にあり、何せ一番大きいことには、ODを手に入れていた。
菊地くんの言う「天才」を「探す」という事の一般的な困難さは、天才集積機、天才磁石である菊地くんのパワーが遠隔操作的に働いたか、よりにもよって私の自宅付近で吸い寄せた。
菊地くんは、それでもアピアーは足りないと考えていた。私も同感で、これは伊勢丹に対するあらゆる意味でのネガティヴィティでない事はご理解いただけるだろうが、タイアップ商法というのは、1990年代をピークに、今や底値にある。<いや、Suchmosは、あのCMがなかったらここまでのブレイクはなかった>とする向きもいるだろうが、それはSuchmosに対する侮辱だろう。儲けたのはCM屋の方だ。それぐらいの気概が、Suchmosの音楽には漲っている。
* * * * *
菊地くんは幼少期からの、自分の教会であり天国であり世界である、伊勢丹のタイアップを大いに楽しんだ。特に館内音楽のチョイスは、彼にとって無慈悲で、つまりは「叶えたくない夢」の実現だったからだ。現代人には、この「叶えたくない夢」の感覚がどれぐらい分かるだろう?夢は諦めるか叶えるためにあると現代人は思っている。夢は夢想の永遠を担保する固定装置としてもあり得るのだ。止まった時間に跨って駆ける。という駆動の感覚を、現代人は失っている。妄想時に人々は停止している。
つまり菊地くんは、直観で事を始め、永遠のファンタジーの一角を失う代わりに、事を推進するというコンサバを背負った。そして、リスク計算もコストパフォーマンス計算もない(と言うか、彼がそれを、そもそもできないことは、彼のファンの皆さんならばおわかりの筈だ。コンサルが介入したら、菊地くんは、生きる喜びを全て失う代わりに、今よりいくばくか「売れて」いたのかも知れない)まま、インスタグラムの立ち上げを我々に命じた。
「プロダクツ無しの、配信1曲だけでフォロワー5000人までは行ってくれ(笑)。どんな実数なんだか、オレにも全然わかんないんだけど(笑)」
「期間は?」
「まあ、半年かな」
「11月まで」
「そうね、どんな実数なんだか、オレにも全然わかんないんだけど(笑)」
「わかった。とにかくミッションは果たすよ。受任報酬も引き落とされたしな」
「常連価格ですみませんなあ(笑)」
「楽しめる仕事というのはなかなかなくてね(笑)。それに」
「まあ、皆まで言うなよ。オレだってこれでスパンクハッピーと言う呪われた運動体にケ
リをつけたい。売れるのに5年かかったとしたらオレ60だぞ(笑)。ファーストアルバムのリリースから1年で、東京でオーディエンス1000人、インスタグラムのフォロワー1万人確保したい。代理店抜きでな。まあとりあえずは<夏の天才>から1年でファーストアルバム。取り敢えずここまでミッションとして良いか?最初の成功報酬はこの段階としてくれ。どんな実数なんだか、、、」
「オレにも全然わかんないんだけど。だろ(笑)」
「数字ってのはオモチャみたいで楽しいな。文字と一緒だ(笑)」
今日から、もうスタイリング以外、活動には付き合わない。定時報告だけしてくれ、もし小田さんからクレームが入った場合は、そっちまで届かないように、こっちで処理する。と言って菊地くんは、いつもの、居心地の良い忙殺の状態に戻って行った。 *
* * * *
私とODは、2人でゼロから始めることになった。我々2人のグループラインを作り、ガラケー古いPCしか持っていない菊地くんへの定時報告はODにやらせることにした。あっという間にODは我々のインスタグラムとtwitterの公式アカウントを取得し、コンテンツは私が、キャプションはODが担当となった。
問題はODへの報酬だ。
「OD、小田さんとの暮らしはどうだ?」
「ミトモさんは、マジ卍パリピスペリオールお忙しいじゃないスか。自分は私服を全部ミトモさんにお借りしてるデス。ツアーのお供に、変装して付いて行ったり、ジムやボルタリングにご一緒したりする時もありマスが、大体は一人でミトモさんのお部屋でお帰りを待ってるじゃないスか」
「食事はどうしてる?」
「冷凍してあるパンをチンして食べてるから大丈夫デス」
「ちゃんと工場には帰ってるか?」
「週末は皆さんと過ごしてるじゃないスか(笑)
「いいか?お前が今から歌ったり踊ったり、練習したり、インスタで活躍したり、レコーディングしたりするのは、もう全て、遊びじゃない。仕事なんだ」
「了解デス(笑)。お仕事をするデスね(笑)」
「だからつまり、お前には報酬を要求する権利がある」
「権利、、、、、」
「何か欲しいものはあるか?、、、、自分の服とか、、、楽器とか、、、、部屋とか、、、まあぶっちゃけ、、、金とか?」
「ミトモさんちに住めて、ボスと音楽が作れれば何もいらないデス!、、、ただ、、、、」
「なんだ?」
ODは突然興奮し出した。
「自分は工場の外にもいろんなパンがある事を知ったじゃないスか!ミトモさんがたまにご飯に連れてってくれるデス!その時に、えーと、えーと、調理パンみたいな、、、やつの、すげー美味しいやつとか、なんかすげー硬ーいパンとかがあるデス!!ボスは知ってますか?野球のバットみたいな奴です!!」
「バゲット、、、のことかな?」
「それデス!!あれも美味いじゃないスか~。あと、お肉やお魚も、工場長の息子さんの奥さんが作ってくれた料理は超美味しかったデスけど、もっとすげー美味いのがこの世にはあるじゃないスか!!」
「いろんなパンと、それと一緒に食べる料理が喰いたい、と云う事か?」
「はい!自分は調理パンやサンドイッチも好きですが、一番好きなのは食パンの切ってないやつデス!それと一緒になんか美味しい料理を食べたいデス!」
「そうか、、、それなあ、、、、菊地くんに頼むべきだなあ、、、食パン一斤持ち込めるビストロな、、、、あるいは小田さんの部屋にシェフを出張させるか、、、、」
「ボスと一緒に、菊地さんが知ってるお店に行くデス!!それを撮影して、インスタに上げるじゃないスか~(笑)」
「わかった。良いアイデアだ。採用しよう」
「嬉しいデス!(笑)、、、、、そしたらボス、、、あのう、、、」
「どうした、何でも言ってみろ」
「、、、自分、あと二つだけ、お願いがあるデス、、、、えへへへへへへ」
「いいぞ。何でも言え、、、、、イリーガルな事か?」
「イリーガル?」
「忘れろ。何だ?」
ODは体をもじもじくねらせ、苦しげに笑いながらこう言った。
「あのう、、、、、ひとつは、、、、ダメだったら、諦めるデスけどお、、、、えーと、ええーーーーっと(笑)、、、、、」
「早く言え(笑)」
「えーと、えーーーっと、、、、、ワインが飲みたいデス!」
「ぅおっと、、、、、そ、、、そうか(笑)、、、お安い御用だ。あ、今まで飲んだことがなかったんだな(笑)」
「そうデス!ミトモさんに、パンは神様の体で、ワインは血だって教えてもらったじゃないスか。だからパン食べるときにワインを一緒に飲むと体に良いって言われて、うひゃ~何言ってるんスか~。と思って、最初は怖かったじゃないスか、、、、でも、実際に一緒に食べたら、余りに美味くて、びっくりして寝ちゃたじゃないスか!あれは何者スか!」
「何を飲んだか覚えてるか?」
「ハイ。シャトーマルゴーの2010年じゃないスか、あれはすげえ美味いデスね」
「小田さん儲けてるなあ(笑)」
「その次に美味いのは、セブンイレブンに売ってる、ヨセミテ・ロードの赤い方デス!コルクがないから開けるの簡単じゃないスか!」
「普通のワイン党の感じだな(笑)。まあいい。いくらでも飲ませてやる。あと一つは何だ?」
「あと一つは、、、、、あと一つはあ、、、、えへへへへへへ」
「早く言え」
「たまに、工場長も一緒に連れてってあげるじゃないスか(笑)」
「、、、、、そうか」
「あ、、、、、、や、、、やっぱ駄目スか?」
「いや(笑)。大歓迎だ(笑)」
「やったー!工場長も、実はワインを飲んだことが無いじゃないスか~(笑)」
「へえ。まあ、何の問題もないけど、パン食うわけだろ?工場長さんも普通に」
「はい。お昼はいろんなものをいっぱい食べて、晩御飯はパンとバターとお酒だけじゃないスか」
「その時は何を飲んでるの?ビールとか?あ、ウイスキーか」
答えを聞いて私は息を飲んだ。一応、だが、菊地君のラジオは聞いていたからだ。
「工場長が一番好きなのは、パンと焼酎デス!」
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